ハンコ

昨日の新聞記事に、日立製作所が来年度に社内の書類への押印を廃止するという記事があった。

日経新聞:日立、21年度中に社内押印廃止へ 在宅勤務に対応

出社要因の1つとなっていた押印業務を止めて電子署名サービスを使うことで在宅ワークなどのニューノーマルに対応するためのようだ。2021年度から導入ということだが、逆にまだハンコを押していたんだなぁという懐かしさが漂ってきた。

私がかつていたビジネスユニットでも、ハンコのおかげでとんでもなく非効率なことが当たり前になっていた。この日経の記事を読んで色々と思い出したので、ここで備忘録代わりにまとめておきたい。

日立では正社員でも派遣社員でも、各社員にハンコが支給されていた。名字と日付のダイアルが付いた印だ。ただ、グループ会社から出向で来ている人には支給されたが、エンジニアリング会社からグループ会社に派遣されていた人には支給はなかった。その一方で、派遣会社から事務系のスタッフとして来ていた人には支給されていた。

朱肉の色は2種類あり、担当レベル(派遣スタッフ、総合職研修員、企画員)は黒色の朱肉で、技師・主任、主任技師、部長代理、部長、本部長など主任級以上の社印は赤い朱肉が支給された。押してあるハンコで、黒ければ担当、朱色だったらそれなりのポジションの人と分かるようになっていた。

当時は本当に毎日ハンコを押していた記憶がある。

  • 内製ソフトウェアの開発伺い
  • 内製ソフトウェアの開発終了伺い
  • プロジェクト管理資料(リスク管理表、工程表、体制表)
  • 設計書
  • 購買注文書
  • 請負発注書
  • 海外出張伺い
  • 入札見積資料(参考見積用、入札用)

などなど。もっとあったと思うがドキュメントが多すぎてよく覚えていない。

システムやソフトウェア開発の設計をしていると、設計資料やプロジェクト管理の資料を何種類も作らないといけなかったが、それを工程ごと(システム設計→基本設計→詳細設計など)にアップデートする必要があり、アップデート版にも押印が必要だった。設計関連だと所属する設計部の部長のハンコは必要だったし、品質保証のチェックを受けるときは生産管理や品質保証部の部長のハンコも必要だった。

内製ソフトウェアを開発するためには、予算伺いでCTOまでの押印が必要だったし、開発開始時にも2周目の押印、終了時に3周目の押印をしないといけなかった。

海外出張は特にひどかった。金額に限らず、本部長とCOOまでの承認がいるからだ。無駄な出張を防止する目的なのだろうが、設計開発で必要だから行くのに、何で毎回多忙なCOOの予定を空けてもらって頭を下げてハンコを押してもらわないといけないのだろうと思っていた。

こんなに承認者が多いと、1つのオフィスだけで全てもらうのは無理だ。ビジネスユニットもいくつかオフィスが分かれているし、役職がある方たちは本社地区と言われる東京駅や秋葉原駅などのビルに行っていることも多い。ハンコを押してもらうためのスタンプラリーの出張をしないといけない。ハンコを押してもらう書類にも期日がある。例えば、入札見積の資料だと、入札前日にハンコを押してもらっていないと入札金額をFIXできないし、海外出張伺いもフライトの前日までには承認者のハンコを押してもらわないといけない。

スタンプラリーをするためには、まずベストのルートを決める必要がある。そこでスケジュールを見て予定を組む。当時はマイクロソフトのOutlookは使っておらず、グループ会社が開発したメールソフトを使っていたので、非常に使いづらかった。押印者のスケジュールを見て、「午後一で行ってまず財務部長に押してもらい、その後で営業部長まではもらえそうだ。そのまま待機して、本部長は16時に予定が空くからここでもらって、COOは17時だな」みたいなプランを練る。巡回セールスマン問題をマニュアルで組んでいるようなものだ。

予定どおりいけば良いのだが、うまくいかないこともあった。押印者も人間だ。機嫌が良いときだとさっと押してくれるが、前の打合せで何かあったのか機嫌が悪かったりすると回覧書類にもイチャモンを付けられる。サテライトPCがあるので、書類を変更することはできるが、回覧者の最初のほうに押しておかないといけない設計の主任技師や部長のハンコが本社地区には無い。そうすると、その日にはハンコが全部揃わなくなり、スタンプラリーが破綻する。ハンコが揃わないまま書類を持ち帰るのは、本当に虚しい。

あと、スタンプラリーをする社員が多くなりすぎたので、押印のためだけの出張は禁止されてしまった。ただ、たまたま別のオフィスに出張する社員がいて、書類を託せたとしても、書類の一言一句の説明を肩代わりするのは難しい。そういう場合は、回覧者にスキャンファイルを送って代理の者が押印をもらいにいくと伝えたこともあるが、回覧するような人に限って忙しすぎてメールを見ていないことがほとんどたった。

中にはハンコ二刀流の社員もいた。上記のようなケースに備えて、本拠地のオフィスに1本、そしてサテライトオフィスに1本、という具合だ。

あまりにも押印する書類が多いので、中身を説明しないで押印だけもらおうとする同僚が「ハンコを押してください」とお願いしている場面も度々見かけたが、承認者から「こういう時は『書類をご確認ください』と言うもんだろう」と言い返されていたものだった。そう言いながらさっと見ただけで押印してくれていたので、傍から見ていると面白かった。

ダイアル式で日付が入るタイプのハンコを使っていたが、過去の日付にして押す「バックデート」も当たり前のようにやられていた。設計書類では試験工程になって、前の工程の承認印を押していなかったりとか、入札用の参考見積をお客さんに出した後に見積承認の押印をもらったりとか、そういう場合は日付を過去にさかのぼって押すのがやむなし、という文化になっており、日付を入れる意味がない気がした。こういうのが積み重なって品質偽装とかにつながるのだから、良いことは無い。かといってハンコを押す書類が多すぎるとこういう事象も起きてしまう。

先ほど、日立の新聞記事で来年度から電子署名を採用すると書いてあるが、私がいたビジネスユニットでも電子署名は取り入れられていた。入札資料の回覧がそれで、電子回覧のシステムが使われていた。ただ、面白いルールだった。まず入札資料を紙で印刷して、設計部や営業部の部長印や、金額によっては本部長印を押印してもらう。その資料をスキャンして、電子回覧のシステムに登録する。システムに登録されたスキャンファイルを、今度は電子回覧システムの回覧者に回すのだ。

リスク回避の一環なのだろうが、取り敢えず重要な決定に対して多くの部門の役職の方が回覧することで、後々問題になっても「あなたの部門の部門長も確認してましたよね」と言えることができるのだ。このおかげで実物でスタンプラリーをした後、さらにシステムでも1周回らないといけなく、承認が滞っていたら内線電話でフォローして確認を急いでもらう、というやり方を取るようにした。

時代錯誤なスタンプラリーに社員からは不満が多かった。ただ、飲み会の席で愚痴を言うことはあっても、誰も改善としようとしなかった。言っても変わらないだろうという諦めムードに近いものだろうか。私も改善しようと取り組むことなく、不合理なやり方に途中から嫌気がさしてそのまま転職してしまった。

今の外資系企業に移ってからそのスピード感と効率重視なところに驚いている。ちなみに今の会社ではハンコは無いし、スタンプラリーもやらなくて済む。承認が必要な場合も、電子システムで確認して次の承認者に通知が飛ぶだけだ。

日本の根深いハンコ問題。組織で役職のある人とコミュニケーションが取れるところは良いところかもしれないが、デメリットが多すぎる。私も前の習慣にはとても戻れない。

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